徒然日記 その124 北京編その2

大満足でラムしゃぶ屋を出た僕らは、末吉君行き付けのJAZZ屋というバーへ。お店お勧めのソルティドッグで乾杯し、末吉君の中国的人生論に耳を傾ける。そこへ香港のBeyondというバンドの元ドラマーWingがバンド・メンバーを引き連れやってきた。Wingとは山中湖スタジオで面識があったし、他のメンバーもBOWの香港LIVEを観に来ていたと言う。彼らは英語も話せるのでお国のロック事情、ギターの話で盛りあがり、「よし!セッションしよう。」ということに。そこで我々は、夜な夜なLIVEやセッションが行われているというジャムハウスというライブ・バーへと向かった。ドアを開けると熱気を帯びたジャズが耳に飛び込んでくる。今夜はジャズ・ギター・トリオのライヴの日だった。若いのに皆とても上手い。青島ビールを飲みながら気分は盛り上がって来た。演奏が終わると、機材を片付けようとしているギタリストのところに駆け寄り、アンプを借りて良いか?ツマミをいじっても構わないか?と了承を得て、僕が中国で子弟関係を結んだ将来有望なギタリスト、チャオが持って来た彼のストラトで演奏を始めた。ドラムは末吉君、ベースはさっきのジャズ・ベーシストが弾くウッド・ベースという編成。ギタリストも入れ替わり立ち代り、ドラムもWingがプレイしたりで日中友好大ジャム・セッションが繰り広げられた。曲はミュージシャン共通の言語であるブルースのヴァリエーションやシンプルなコード進行の"Sweet Sweet Surrender"など。しかし、ウッド・ベースでファンキーな曲まで付き合ってくれたあのベーシストはなかなかのもの。ステージ上でもお互いの技を繰り出すたびに目が合い微笑み、音での会話を楽しんだ。お客さんも盛り上がって、結局3時まで弾きまくり、紹介された20歳のピアニスト、ジャンジャン(彼は三瓶そっくりだったので、例のギャグを教えようとしたら、自ら「サンペイデース」と振り付きでやってくれた。全く、誰が教えたのやら...)と明日オープンするライブ・バーでセッションする約束をして店を出た。
外も真冬の寒さだったが、部屋に戻ってもなんか異常に寒い。ベッドに潜り込むと冷たい布団のせいで歯がガチガチと鳴る。寝返りを打つたびに冷たい部分が背中に当たる。「ヒェ~」身もだえしながら「ここは中国ナンダ、日本のように何でも揃い、完璧な設備など期待してはイケナイノダ...。」と自分に言い聞かせ、震えながら眠りについた。
翌朝「寒かったねー。暖房を強にしても全く効かないもんね。あれじゃ風邪ひいちゃうよ。」と3人で話し合い、上田くんが何とかならないものかとフロントに掛け合ったところ、何と悪びれもせず、僕ら3人の「3部屋とも暖房は壊れてます。部屋替えますか?」との返事が返ってきたと言う!「うががっ!」このホテルは結構ちゃんとした、それも日本系のホテルニュー○○○○だぞ。なのに何という仕打ち!やはり日本人は嫌われているのか!すぐに部屋は取り替えてくれたが、あのまま文句を言わなければ、間違いなくひどい風邪をひき、その直後に行われたBOWの松江でのコンサートは中止となっていたに違いない。それにしても新しい部屋はとても暖かく、まるでシベリアの収容所からハワイの海辺へでも来たかのように別世界であった。(続く)


2002年11月14日