中国旅行から帰ってきた僕は、落ち着く間もなく今度は同じ中国でも中国地方の松江市、つまり僕の故郷へと向かった。羽田の出発カウンターでは何をどう間違えたのか「この便は予約された方が搭乗制限人数を上回っています。大阪経由に変更してくれるお客様にはお礼として10000円を差し上げます。」とのアナウンス。こんなの初めてだ。飛行機もさぞや重いんだろうと少しだけ心配になったが、特に何も変わったことは無く予定通りの時間に出雲空港へ到着。迎えに来てくれていた母や姉と、甥の運転する車に乗って実家までのドライブを楽しんだ。
今回の帰郷は、BOWWOWの久しぶりの凱旋ライブもあるが、元はと言えば我が母校、松江南高の40周年記念式典にクラスメートだった佐野史郎と一緒に講演を依頼されたからである。講演と言われてもそんな固っ苦しい話なんか出来る訳は無く、ギター片手にトーク&ライブといったところ。着いたその日の夕方に軽くサウンドチェックだけは済ませておき、そのまま佐野の家でビールを飲みながらお互い作ってきた曲の練習をした。
本番当日は冷たい雨が降っていた。タクシーを飛ばし、新しくなった校舎の玄関から応接室へと通される。そこで熱いお茶など飲んでいると、昔習っていた英語と古文の先生達(二人とも女性)が会いに来てくれた。1年の時からとても気が合ったチャーミングな英語の多々野先生、怖かった古文の川島先生はすっかり角も取れ、ニコニコだった。当時の事を覚えてくれていたらしく「恭司君はああだったよね、こうだったよね。」と思い出話。しかし、あの頃の先生達よりも今の僕らはずっと年上だというのがとても不思議な気分だ。
出番が近づくと体育館の中にある体育教官室へと移った。佐野と「教官室なんてそれだけで今にも怒られそうで怖いよねー。」と話しているうちにお呼びがかかり、在校生代表に先導されて演台へと向かった。場内は割れんばかりの拍手、生徒達も「ワー!」と声を上げて盛り上がっている。ギターをギュイ~ンとかき鳴らした後、まず二人大声で歌ったのは南高の校歌ロック・ヴァージョンだ。その後も在校当時のエピソードや現在に至るまでの話、生徒達からの質問等を受けながら、佐野が最近立て続けに亡くなってしまった級友達に捧げる"ともだち"を、僕がこの日の為に作ってきた"南の空へ自転車こいで"を歌ったりと、あっという間に予定の1時間は過ぎて行った。そして最後に二人で"アヴェ・マリア"を演奏して終わった。僕らも楽しかったし、皆も喜んでくれたようで一安心。乗りの良いフランクな校長先生も良かったし、話のわかる先生達も全然固っ苦しくなく、何よりも校風がそうさせるのか、僕らが通っていた頃と全く何にも変わらない生徒達に驚いた。松江の町は、悲しいかな必要もない無駄な公共事業等でどんどんその姿を変えていくが、教育の荒廃が問題になっている現代、母校の高校生達の心の中に変わらない純朴さを見るのは本当に嬉しいことだった。
その夜は、3年の時の7Rの同窓会が開かれた。この時期に何と1クラスで25人もの出席者である。卒業後初めて会う友達も大勢いたが、結局、当たり前かも知れないけれど、皆あの頃のまんま大人になっていて、昔のイメージを彷彿とさせてくれるのが良い。この7Rというクラスはちょっと変わった生徒達ばかりが集まっていたので、そのせいか今だに団結力は物凄く強い。多分一生「自分達は11期7R出身」という他の人達には理解出来ない誇りみたいなものを背負って生きて行くんだろうな。しかし肩の力が抜けて幸せな気持ちにさせてくれる同窓会だった。
"南の空へ自転車こいで" 作詞作曲 山本恭司
朝の光を 澄んだ空気を
思いきり吸い込み 僕はペダルを踏んだ
最後に待ってる 長い坂道
バスの中の君を 見つけスピードあげた
南の空を 果てない空を
力の限り 羽ばたく鳥よ
いつまでも 自由でいろよ
髪を伸ばして ギターを弾いて
深夜放送も聴いて ちょっとだけ勉強もした
微分積分 sine cosine
数~Bはちょっと 理解出来なくても
南の空を 果てない空を
力の限り 羽ばたく鳥よ
いつまでも 自由でいろよ
いつまでも 自由でいろよ
2002年11月22日