小学5年の頃、一度だけ入院したことがあった。その時は、急性腎炎を患い3ヶ月、確か丁度100日の入院だったと記憶している。そのうちの2ヵ月半は絶対安静を強いられ、ベッドを降りてお風呂やトイレにさえも行くことも許されなかった。看護婦さんがたまにかけてくれるレコード("口笛吹と犬"とか童謡とか)が楽しみで、あとは読書、お絵描き、時に新聞に詩を投稿したりして長い時間を過ごした。後半になると、病院内での出来事を、ニュースや4コマ漫画にした「バカスカ新聞」という新聞(?)も作った。特に意地悪な看護婦さんとかは、小児病棟の子供達にも受ける格好のネタとなるので、ツノを生やしたりして面白がって描いていたら、第3号を出した直後、案の定その看護婦さんからストップをくらってしまった。分かってはいたけど「あなたは絶対安静なんだから、こんなもの書いちゃ駄目ですっ!」が彼女の言い分だった。しかし先生達には大受けし、診察のたびに「次は何時発行してくれるんだい?」と待ち遠しかったみたい。食べ物の好き嫌いもとても激しい頃で、病院での食事は半分も食べられず、更に厳しい食事制限もあり、差し入れで食べて良かったのは、氷砂糖とガムのみ。これでは痩せるし筋力も落ちていくのも当然。「歩いてもいいよ。」と言われ、初めて歩いて診察室まで行った時は、バランスが上手く取れず、雲の上を歩いているようなとても不思議な感覚だった。
それと比べたら、今回の入院は天国だったと言っても良いのかもしれない。もちろん痛みのある時はそんなこと微塵も思わなかったけど。例えば普段酷使している耳のことだけをとってみても、大きな音が一切しない5日間なんて何十年振り?だろう。4日目にCDプレイヤーを持ち込み、久し振りに音楽を聴くと、ヴォリウム2くらいでも全てがハッキリ大きく聞こえる。ヘッドフォンをしてロックを聴いているのに病室の前を人が歩く足音までバッチリだ。「これは凄い!」と感動。職業柄、常に物凄い音にさらされ、ミュージシャンってその殆どが難聴気味だからね。体もゆっくり休められたのは良かったけど、体力や左指にあったギターダコが落ちていくのは、ちょっと辛かったかな。食事は、最初の二日間は点滴のみで、口から何も入れないのにお腹が空かないのはとても変な感じ。食べられるようになって最初に出た苦手の重湯と煮魚という恐怖のメニューよりは、ずっと点滴の方が良いと思ったな。
点滴と言えば、ある日、抗生剤の入ったバッグを取り替える時、看護師さんがチューブの中の僅かな空気を指で弾いて細かくしたのを見て「そういえば血管に空気が入ったら死ぬんだよな。」と怖いことを思い出した。そしたら、その空気の存在が気になってしょうがなくなってくる。最初は細かい泡だったのが段々大きなものとなってツーッと腕に向かって降りてくる。僕はあわててそれを弾き、細かくする。時間が経つとまたそれが集まってくる。そのうち1cmくらいの空気の塊が2~3個出来、それが連なりまた腕にむかってツー・・・。僕はもう居ても立ってもいられなくなり、ただひたすら泡との格闘を繰り返す。そのうち巡回の看護師さんがやってきてたまらず「空気が入っているんですけど、どうしましょう?」と縋るような目で助けを求めた。そしたらあっさりと「あ、これくらいの空気だったら問題ないですよ。10cmくらいあったら危ないですけどね。」・・・ ん~、とは言うものの、空気が自分の血管の中に入っていくのを黙って見過ごすのは物凄いストレス。針を止めてあるガーゼの下にその小さな塊が消えていくのを見ているだけで、また胃が痛くなりそうだった。
しかし、今回の入院中、お医者さん、看護師さんたちの働き振りを間近に見て、本当に大変なお仕事だなと痛感。あれは、ただお仕事だからと割り切って出来るものじゃないよ。僕に対しても、皆さんとても優しく親身に接して下さって、ここでは、あの「バカスカ新聞」は書けないなと思った。
P.S. 本当に心配かけてしまったけど、もうすっかり元気になりました。BOWのリハも何の問題もなく出来たし、今週末の韓国でのロック・フェスも頑張ってきます。
2004年8月9日