小学生の頃、同じくクラスにYちゃんという仲良しの友達がいた。Yちゃんの実家は宍道湖畔にある旅館だった。うちからもすぐだったし学校帰りや休みの日にもよく遊びに行ったものだ。当然のことながら部屋がいっぱいあってかくれんぼにはもってこいだったし、布団もたくさんあるのでそれを敷き詰めプロレスごっこも出来、そんな姿を仲居さんたちはいつもニコニコ顔で見守ってくれていた。Yちゃんちにはきれいな応接間があって僕はその部屋が大好きだった。サイドボードには見たこともないような色とりどりの洋酒が並び、中庭に面しているその部屋から何匹もいる錦鯉に餌をやることも出来た。そこに行くとYちゃんはいつも加山雄三のレコードをかけてくれた。うちにはなかった立派なステレオから耳慣れた曲が素晴らしい音で次から次へと流れてくる。その声とサウンドは当時の流行の最先端ということもあってまだ10歳の僕を少しだけ大人にしてくれるような不思議なパワーを持っていた。
ある春の日、おじいちゃんがYちゃんと僕を車で土筆取りに連れて行ってくれたことがあった。場所はどこだったのかは忘れてしまったが、2~30cmもある長い土筆がいっぱい取れ大喜びしたのを覚えている。そして戦利品を両手いっぱいに抱え昼食を取りに古い小さな食堂に入った時のこと。僕らがまずプラッシーを頼むとおじいちゃんはクールに窓の外を見ながら「麦ジュース!」と言ったのだ。それがビールのことだと知ったのはグラスに注がれた泡を見た時だった。麦ジュースと聞き、店のおばさんもすぐ分かったみたいだけれど、僕はあの呼び方をそれ以前そしてそれ以降も聞いたことがない。ただ何よりもその時のおじいちゃんの横顔が鮮明に残っている。
Yちゃんには妹がいた。ちょっとハーフっぽいルックスのとても可愛い女の子だった。Yちゃんもその子が自慢のようでいつも一緒だった。
思えばYちゃんは僕が持ってないものを何でも持っていたような気がする。大きな家やレコードとかはともかく僕がどうしても手に入れることの出来ない・・・車で色んな所に連れてってくれるおじいちゃんや可愛い妹まで。僕はあの頃Yちゃんに憧れていたんだと思う。家の中で家族に「僕の名前はイヤだからこれから僕のことをYちゃんと呼んで。」と頼み、しばらくそう呼ばせていたこともあったくらいだ。そんな仲良しのYちゃんの転校を知らされたのは小学校5年の時だった。何があったのかは分からないままだけど、Yちゃんはあっという間にいなくなり、しばらくすると旅館も壊され跡形もなくなってしまった。同じ市内に住んではいるものの大橋をはさんでずいぶん遠くに行ってしまったYちゃん。中学に入り総体で見掛けたので声をかけ立ち話をしたけど、なんか少し気まずい感じがした。高校に入っても自転車でたま~にすれ違うこともあったけれどもう話はしなかった。
薄れていく小学校時代の記憶の中で今でもはっきりと思い出せるYちゃんと遊んだ日々。刺激的で楽しいことがいっぱいあった。
Yちゃんも僕と同じようにあの頃のこと覚えていてくれるのだろうか。
2007年3月5日