徒然日記 その170

皆さん明けましておめでとう。
お正月早々ちょっと嬉しい話があったのでお知らせ。
年末、3つの封筒をポケットに入れて出かけた僕は、本屋さんで買い物を終え、その後ポストに投函しようとしたら、あれっ...2つしか見つからない。車の中も全て捜したし、さっき行った本屋さんに訊いてもそのような届けはないという。無くしてしまったのは、あろうことか大事な契約書の入った封筒!すぐさま事務所に連絡を入れて、後はなんとか善意の人に拾われてくれるよう祈るのみ...。
そしたら一昨日上田君からのメールで「契約書が届きましたよ!」だって。心のどこかで期待はしていたけれど、やはりそれが現実になるととても嬉しい。前回の徒然日記の流れからしても嬉しさひとしお。誰が拾ってくれたかは判らないけれど、大感謝です。
善意と云えば、昔、松江の実家では外出する時、鍵を一切かけることをしなかった。僕は既に東京で暮らしていたので「どうしてかけないの?危ないじゃない。」というと母は「もし誰かが届け物(回覧板とか)にでも来られたら失礼でしょ。」と言う。確かに、いつだったか家に帰ってみると留守中に郵便屋さんが来て、近所の人に頼まれたからというメモと一緒に大きなタケノコが置いてあった事があった。郵便屋さんに「ついでだからお願い。」と頼む人、文句も言わず頼まれる郵便屋さん、鍵をかけずに出かけた母、人を信じるのが当たり前で、皆がそれに応えていたあの時代が懐かしい。今や街中に監視カメラが設置され、それが人々の安全を守ってくれるからと、更にここにもあそこにもなんて...どこかおかしいよね。話はSFっぽくなるが、今に想像をはるかに超えた処理能力をもった巨大コンピューターが、メールは勿論、電話の会話、携帯からの位置情報、監視カメラからの情報等を全て把握するようになり、それらを使って世界中の人間達を自由にコントロールする時代だって来ないとは限らないよね。最近の携帯や電化製品もそうだけど、色んな便利な機能を付加していく度に、人が自分の頭の中で処理出来ていた事をわざわざ倍の時間をかけて機械にやらせるようになり、それはすなわち、人としての機能を機械に移譲して行くことになっていないだろうか?それが良い意味で人の退化に結びついて、再び純朴な生活に戻れたりするのならそれもいいんだけど、結局は、考えが浅はかになって好きか嫌いか損か得かみたいなところで何でも決まるようになりそうでとても怖い。あ~、また考えが止まらなくなってきた。
それはともかく、拾って投函してくれた人、本当にありがとう。年の初めからとても嬉しい気持ちになれました。


2004年1月7日